今回は小説ではなくてエッセイ。僕は当時の単行本をいまだに持っている。オリンピックのことを考えるのに再読するなら今でしょ、ということで。
2000年シドニーオリンピックを、現地で見ていた村上春樹さんのリアルタイム観戦記。23日間滞在していたシドニーの空気が、さすがの文章で臨場感あふれて書かれている。
春樹さんはマラソンランナー、トライアスリートでもあるし、神宮球場に通う野球ファンであるので、その競技についての考察には少し熱がこもっている。このシドニーの女子マラソンで、高橋尚子さんがサングラスを投げてスパート、金メダルを取った。
旅先での春樹さんは、朝はランニングを60分していたり、地元のバーで毎日ビールを飲んでいたり、超長距離ドライブでスピード違反してたり、レストランやオリンピック会場での食事、サーファーを襲ったサメのニュースや動物園のコアラの話、オーストラリアの成り立ちなど、旅のメモワールとしてもかなり深く楽しめる。
そんな中でも僕が印象的だった(たぶんこの本の主題の一つでもある)のは当時、オーストラリアが抱えていた先住民であるアボリジニとの人種問題とオリンピックの話。女子400mでキャシー・フリーマンが金メダルを取ったレースを見ていた春樹さんのコメントが、オリンピックの意義を端的に表していると思う。ちょっと長いけど抜粋。
「このシーンを見るためだけでも、今夜ここに来た価値はあったと思う。胸が熱くなった。人の心の中で、固くこわばっていた何かが溶けていくのがどういうことなのか、それをまぢかに目撃することができた。今回のオリンピックの中でも、もっとも美しく、もっともチャーミングな瞬間だった。
競技場にいる十一万人の観客たちも、僕と同じことを感じていた。みんなが同じことを感じているんだということを、みんなが感じていた。僕らはそのような巨大な温かい共感状態のガスの中にあった。一人の女性が、四百メートルを走るだけで、そんな感動的な巨大なるものを作り出すことができるんだ。」
オリンピックを開催したことで、オーストラリアの人たちがどう変わっていったのかという一端を知ると、東京オリンピックを今年やる意味とは、という疑問が浮かぶ。そもそもは賛成派なんだけど、この本を再読したことで、無観客でやる意味はないのでは、と思っている。
日本にはオーストラリアのような根深い問題はないにせよ、会場での共感状態が生み出すものって大きいはず。スポーツは、映像で見るだけだと本当にもったいないんだよなぁ。
ちなみに春樹さんは本書の中でもオリンピックの肥大化、ビジネス化に触れてた上で、競技は半分で、開催地は発祥の地ギリシャのアテネに固定して開催する「シンプルでささやかな提案」をしている。
本日のジムトレーニング備忘録
・スクワット 30kgでフォーム作り
・ジャンピングスクワット 30×5セット
・チューブを両手で引っ張り上げながらジャンピングスクワット
・フラットベンチで腹筋、脚上げ
・腕立て伏せ(自習、ベンチプレスが空かなかった)
股関節まわりと、背中を使うメニューで、ランニングでの接地から脚の引き上げのためのトレーニング。これは本当に大事なので必死にやった。
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